都市づくりを考える 8

そこには数多くのレストランがあって食事ができて、場合によっては小さい事務所もあっていいでしょう。


この千葉港の港町は、千葉市内の商店街と今よりももっと密接に結びつかなければなりません。


そのためには両地区を結びつける、人間のための道路がつくられるべきだと思います。


そうなれば庶民的だけれど洒落た雰囲気の商店街が連担できます。


そしてその南側に川崎製鉄がヨーロッパ風の重厚な街づくりをします。


そこには創価学会 仏壇の前で祈る信仰深い知識人やある程度小金をもった市民が住んでいます。


このような対比的な海岸都市のイメージが千葉市につくれないものでしょうか。


千葉市から東京にかけての埋立地域の現状は乱雑のひとことに尽きるでしょう。


千葉港と幕張新都心の間には京葉線沿いに住宅地が並んでいます。


この住宅地は玉石混清で、海浜ニュータウンのような=戸建の質の良い住宅地があるかと思うと、殺風景で手入れの悪い中層の集合住宅団地も数多く存在します。

都市づくりを考える 7

海浜ニュータウンの人達が遊びにきたり時計 ジェイコブなどブランド品を買物をしたりする人間臭さがありません。


かたい感じの市街地といっていいでしょう。


ただ土地がありますという感じの場所です。


ここに庶民的でしかし市街地景観としては美しい港町ができれば、海浜ニュータウンの住宅地の価値も、そこと結びついてさらに高まることになるでしょう。


人間臭い港町として、デンマークのコペンハーゲンの港町が挙げられます。


そこには観光客が楽しめる雰囲気があります。


同時にその港町は、市民が休日にその港に行って船やヨットを見ながら買物をするというショッピングの場でもあります。


洒落た店造りの小さなホテルが数多く商店にまざりあっています。


その港町には中央駅から2、3キロにわたって、ストレーゲトという有名なショッピングの歩行者専用道が通じています。


人間臭い港町にするためには、ホテルや市役所、会館などの建物だけではなくて、普通の商店が洒落た小さな店がまえで並んでいることが必要でしょう。


さきに述べた卸問屋団地の再開発は、うまくゆけばそのような港町の中心になりうるのです。


ここを、生鮮食品を皆が買いにくる現代的な市場とします。

都市づくりを考える 6

ハンブルグの戦災復興が素晴らしい街並みをつくったことを千葉市も参考にしたら面白いでしょう。


つまり、ガラス張りの高層建築で発展途上国型の街にするのではなくて、厚みのある市街地をつくることを考えるのです。


たとえばレンガを積んだ4~5階建のオフィス街にします。


屋上が全部水平に切れている建物は建てません。


瓦屋根がかぶっているようなオフィス街がドイツやイギリスにあります。


そういう格調のある街並みにこの埋立地をつくり変えていきます。


住宅も7、8階建どまりのマンションにします。


ヨーロッパの街は緑を大量に取り込んでいます。


それにならって水際の公園には樹木をたっぷりと植えてゆくことを考えます。


つまらない現代の都市空間をこえた工夫を、この海沿いの市街地では考えて欲しいのです。


千葉港地区の西隣には海浜ニュータウンという質の良い住宅用地があります。


ここは緑もたっぷりあって埋立地につくられた住宅地としては成功したところです。


その地続きである千葉港地区は、官公庁地区としては道路も立派だし建物も整っています。

都市づくりを考える 5

イメージで言えば千葉市はオランダのロッテルダムとか、ドイツのハンブルグの良い街並みを見習って欲しいのです。


この両市とも非常に良い街づくりを第二次大戦のあとにしました。


ハンブルグはアメリカ軍の爆撃で、ロッテルダムはドイツ軍の爆撃で両市とも徹底的に壊されて何もなくなったところだそうです。


しかしその後は非常にしっかりした区画整理をして、良い都市をつくりあげました。


戦災でなにもなくなった点では、工場跡地の利用と似ているところがあります。


しかし、ハンブルグもロッテルダムもそこに旧住民がもどってきて彼らの生活と商売にみあった素晴らしい街をつくったのです。


広大な開発用地に、地付きの旧市民を移殖させることができなくては良い街ができません。


ハンブルグの街のなかに湖があります。


その湖のまわりにきれいなオフィス街がつくられました。


しかしそこは同時に住宅街でもあります。


家並みはそろっていますが、その建物は小さなオフィスにも、しっかりとした住宅にも使えるようにつくられています。

都市づくりを考える 4

率直にいって千葉県や千葉市には、ヨーロッパ型の時間と歴史によって豊潤に熟成された豊かな文化・・・


あるいは西日本の都市がもっているしっとりとして密度の濃い街のたたずまいがないと思います。


このような要素こそ、今の千葉県や千葉市にとって必要なものでしょう。


そういう街の雰囲気はただ黙っていてもできるものではありません。


したがって意図的にそのような文化がうまく育つ街づくりの一番手としてこれら川鉄や千葉港の敷地を考えてよいのではないでしょうか。


そのためには小規模地主を数多く計画的にこれらの敷地に誘導し定着させ、彼らにふさわしい中層程度の一戸建の建物を並べてゆくことが絶対に必要になってきます。


この要素が欠けると、新しい市街地には人間の住む街の匂いが生れてこないのです。


千葉市から浦安市までの地域に存在する他の埋立地では、ゆとりをもって考えることができないほど短い時間で、最終的土地利用が決められてしまいました。


ところが川崎製鉄は鉄を作ることが本命の会社であって、不動産利用が本命ではありません。


鉄が順調であれば、埋立地を早急に他の土地利用に転換する必要はないでしょう。


ゆっくりと良い街をつくっていくという観点からみれば一番ふさわしい会社であり、ふさわしい場所なのです。

都市づくりを考える 3

前回のべたような運動と連動させながら、川崎製鉄の膨大な土地を市街地化すれば、千葉市の姿は一気に変わってくるでしょう。


国際的な視点からみても、海岸沿いに明るくて質の高い水際都市がつくり出せると思います。


その際、千葉港周辺地域、それに川崎製鉄敷地両方に共通して考えてもらいたいことがあります。


それは工場跡地や埋立地の土地利用転換は、必ず既成市街地の再開発と結びつけてもらいたいということです。


過密な中心市街地の住民や企業は、この海岸沿いの土地に移り住んでもらい、既成市街地にあるこれらの住民や企業の土地は、再開発のための公共用地として使用するという原則をうちたててもらいたいのです。


・・・そうなれば川崎製鉄の敷地が再開発される場合に、そこには小規模な宅地が一定量、計画的に配置されます。


これらの土地を手に入れた市民や地元企業の建物が数多く再開発地区内に建てられます。


このような街のたたずまいは、意外とヨーロッパ型の、小粋で洒落たきめのこまかい雰囲気になるかもしれません。


何も大企業のみを対象にした超高層のオフィスビルやホテルをつくるだけが再開発ではありません。

都市づくりを考える 2

千葉市には川崎製鉄の用地だけでなく、千葉港の周囲を見ても、まだ使いきれていない埋立地が残っています。


千葉港周辺は、千葉市役所といくつかのホテル、公立の会館、観光名所のポートタワーだけで、まだまだいい市街地になってはいません。


しかし川崎製鉄所の北側に位置する、この千葉港を中心とする新開地は、千葉市が新都心にしようと意気込みをかけているところです。


埋立地の一部分に千葉市が所有する土地があって、最近立派な体育館を建てることが決まりました。


さらにそこには引き続きホテルとショッピングセンターとオフィスを建設しようとしています。


スポーツとショッピングとホテル、オフィスという複合的な建築群はそれ自体で千葉市の一つの名所になります。


この事業は5、6年後に完成すると思われますが、それをきっかけとして、この敷地の前面にある、利用密度の低い問屋センターを活性化させ、住宅と商店が計画的に混在するにぎわいのある街をそこにつくってもらいたいのです。


夜でも人通りがあり、人がたくさん住んでいる街にしないと埋立地は人間臭くなりません。


そのためには中高層の住宅を密度高くそこに収容することを考えてもよいでしょう。


・・・このような構想が、千葉港を中心とした新都心に実現してゆけば、古い千葉の市街地とはまったく違う若々しい街が出来上がってきます。

都市づくりを考える

川崎製鉄の土地は、一つにかたまってはいません。


数カ所にわかれています。


主工場用地ではなく、分散している一部の土地をまず普通の都市的土地利用に使ってゆけば、今からでも新しい都市づくりは可能です。


まずそこには、思いきって大規模に木を植えてもらいたいのです。


その緑を前提にしながら東京湾の水際を生かして、研究開発を主体にした新しい工場団地をそこにつくることは可能です。


場合によってはオフィス街と住宅市街地をそれに組み合わせれば、それなりにシティー・イン・ザ・シティー・・・


つまり"千葉市の中の川鉄都市"というような都市をつくることもできるのではないでしょうか。


重要なことは、千葉市民が簡単に海に遊びにゆける市街地を川鉄用地内につくってもらいたいことです。


そうすれば海に面した川鉄用地の前面に、ちょうど横浜市の山下公園のような海岸公園ができ、その後背地にホテル群やコンベンション施設が配置される、大変質の高い市街地ができあがります。


そうなれば、これらを利用する人達は世界中から川鉄の技術開発の特許やノウハウを求めてくる人達であるといった期待も実現できるかもしれません。

義賊・運玉義留の誕生

沖縄の鼠小僧、運玉義留が誕生したのはどういういきさつだったのでしょうか。


義留が親方の元を去って間もなく、首里の御殿(大名屋敷)や、那覇の商家に盗賊がおし入り、神出鬼没で誰一人としてその姿を見たものはいませんでした。


そして、田舎の貧しい百姓の家に、金子が投げこまれることが続きました。


そのうわさが村々にひろがりました。


これはもちろん義留のやったことでした。


義留は運玉森という丘にこもって、捕り手の役人の目をくらましました。


或る日、運玉森に男の子がはいりこんできました。


義留はこの小僧の様子をじっくりながめていました。


小僧はいっしょうけんめい誰かを捜している風でした。


「おい小僧!」


と、義留が後から呼びました。


すると小僧ははっと後の声の方向に振り返りました。


小僧は利口そうな目をくるりと向けて、


「運玉義留ですね」


「そうだ、小僧何の用か」


「ああ、よかった。義留兄、おれを弟分にしてくれ」


「盗人の弟分にか」


「お願いします」


・・・と、ひたいを地面にすりつけました。


「小僧、弟分になるなら試してみるが、よいか」


「何でもやります」


「それでは、金を持たないで、油を買ってこい」


という言葉を聞いて、小僧はすぐに走って那覇の街に下りて行きました。


それから二時間もたったでしょうか、小僧は徳利を下げてもどってきました。


「どうだ!」


と義留の顔の前に徳利をつきつけました。


そして徳利から、黄色くしみた綿をとり出して、茶碗の上に綿をぎゅっとしぼりました。


綿には油がたっぷり吸いこまれていました。


小僧は、油屋で油を徳利に入れさせてから、何のかんのと文句を言って、もう買わないとごねて、油がめに移させます。


油はすでに綿に吸い取られているので、小僧はしめたと、舌打ちして、次々油屋を同じように廻ってきたというわけです。


義留は、こざかしい小僧だと感心もし、舌を巻きました。


「よし弟分になれ」ということで、油を吸い取ったので「油喰坊王」と呼ぶようになりました。


沖縄ツアーなどで沖縄に行けばわかりますが、沖縄にはこうした面白い物語がたくさんあるのです。


もの知りともの知らず

「モノ知りとは何か、モノ知らずとは何か。


その基準が、これまでの男性社会の常識に過ぎず、したがって女性がモノ知らずというのも当然。


反対に男性は、これまで女性たちが蓄積してきた知恵のほとんどにつき、知らないはずである・・・というものでしょう。


この反論には、かなりの根拠があります。


派遣 千葉などのビジネスの世界で「相当の立場にある」男女という以上、専門領域については一定レベルの知識・能力を持っているに違いありません。


「モノ知り・モノ知らず」というときの「モノ」とは、専門外の知識=雑学のたぐいを指すわけですが、その具体的内容は、これまで「主に男の領域」とされてきたものが多いのです。


たとえば、


「近頃の男の話題といったら、1にゴルフ、2にプロ野球、3に競馬か自動車、といったところでしょう。


そんな話題を、私たち女性が知らなくたって、かまわないと思うわ。


反対にいえば、あなたたち男性は、踊りの花柳流と井上流の違いが分かっているかしら」


・・・などと反論されると、なるほどと思ってしまうこともあります。


ただし、ここでちょっと待ってほしいのです。


私がいいたいのは、知的関心の広がりかた、という問題なのです。


たとえば、私はゴルフをやらないし、いまのところやる予定もないですが、ときにはテレビのゴルフ番組を見て、話題は仕入れています。


私よりもっとはっきりと「ゴルフ嫌い」を明言する知人でも、ゴルフ好きの仲間が、ゴルフを例にして説明するようなときに、話の筋道を取り違えないだけの知識は持っているように見えます。


その他のケースでも、よく似た状況を感ずることが多いのです。